出口はどこにあるのか

仕事で期待されている成果が出せていない気がする
(反応がない)。
私が本当にやりたい仕事もわからない。
わかったとしても、未経験なことで
勉強しながら兼務などでやりたい方向に行くには
短時間勤務では難しい
(たくさんがんばることを求められるから)。

夫の仕事が忙しく、平日の家事と育児は
私がやるしかない。
そして子どもは発達障害。
普通の育児はできない。
心理士からは療育をすすめられる。
そのためには、仕事を辞めないとムリだろう。

これから再検査の身体のことも
正直に言って不安だ。
もし病気で長生きできなかったら
この子の育児はどうするのか。
夫に多大な負担をかけてしまうことになる。
夫の仕事はどうなるのか。

私がお酒をたくさん飲む人間だからなのか。
超高齢で子どもを産んだからなのか。
人とのコミュニケーションがうまくできない
人間だからなのか。
みんな同じの画一的なものが大嫌いで
こどもちゃれんじなどをさせていなかったからなのか。
発達障害は脳の欠陥と言うけれど、
どうしても自分が悪いのかと思ってしまう。

現実が真実

結局、現実がすべて。
現実が真実。

だから、今の私をつくりあげたのは自分。
努力すべき時期にしかるべき努力をしなかったから、
仕事のうえでは現状に不満で、
でも何をしたいのかわからない自分がいる。

本気で何をやりたいのかわからないまま。
夫の仕事がまた忙しくなり、
仕事はそこそこ、
家事と育児に追われる日々。
本当にやりたい仕事があれば、
子どもを遅くまで幼稚園の預かり保育に預け、
買ってきたお惣菜で食事すればいいのだけれど、
それもしない。

結局、やりたいことのない人間。
バッハやヴィヴァルディの演奏はしたいけれど、
逆に言うとそれぐらいだ。
あと10年、あるいは15年、
こうして生きていくのはいやだ。

欠陥人間

去年の4月に子会社に異動になってから
今まで以上に人との関係をどうしたらいいのか
わからなくなり、
子会社にもなじめず、
でも原籍の会社には希望してもなかなか戻れず、
本当に苦しい。
私はどこからも必要とされていないのかという
気持ちをぬぐえない。

私はもう、誰とも口をきかずに
もくもくと何かをつくりあげる仕事しか
できないんじゃないだろうか。

胃が痛い。

セミの命と私の命

首都圏とは言えうちのあたりはかなり田舎なので、
セミの死骸がたくさん落ちている。

夏の前には影も形もなかったものが突然現れ、
大量に死んでいき、
またいつの間にか他の生き物に食べられたり
分解されたりして去っていく。

セミの命と私の命。
命の重さは同じではないのか?

違うのだとしたら、私は何をして
何を残していけばこの世に生まれた
意義があるのか。

そんなことを考える夏の終わり。

49歳にもなれば

先日、ちょっと心配になって
家の近くの乳腺科を受診したら
いきなり組織細胞を取られ、
でも検査結果は良性で問題なしということで
ほっとしていたら、
今度は会社の健診で同じ箇所がひっかかり、
要受診となってしまった。

それ以外に指摘された、炭水化物や糖質の量と
適度な運動には本当に気をつけてきたのだが、
再び同じところにアラートが出るとは。

定年までの残された時間もさることながら、
それ以前に、健康で長生きできるのか。
やはり、壮大な計画でやりたいことを
実現するには時間がないように感じる。

大切な家族のためにも、健康で長生きしたい。
生活費、住宅ローン、教育費を払うためにも
元気に働き続けなくてはならない。
そしてできれば、いい音楽活動をしたい。

やはり、新しい一歩を踏み出すか。

子どもと2人の一日

今日は幼稚園の一時保育がお休み。
仕方がないので、有給休暇を取る。

お休みを利用して、4歳児健診と予防接種を受ける。
コミュニケーションがうまく取れないこと、
できないことが多いことなどから、
発達障害なのでは?と言われる。

今年に入ってから療育センターに行って
経過観察中だったので
うすうすわかっていたことだが、
他人の口から言われるとやはりショックである。

帰宅して、なかなかおむつが外れない
子どもへの荒療治で
普通のパンツを履かせていたのだが、
小も大も、しかも2回、
服やリビングのラグや床を汚され、
かなり怒ってしまう。

大人になっておむつをしている人はいないと
みんな言う。
相手を思っての注意ならいいけれど、
自分の感情で怒るのはいけないともみんな言う。
しかし、気持ちを抑えられなかった。

テレビドラマの「ノンママ白書」を見た。
私は仕事一筋の人生ではなかったけれど、
彼女たちは等身大の同世代。
母親になりたくてもなれなかった人、
なることを選ばなかった人は
本当にたくさんいる。

45歳で子どもを生んだことは
奇跡みたいなものだ。
私も、ノンママだったかもしれない。
しかも、キャリアもない平社員の。

子どもがいるだけで幸せなのだと思う。
おむつが外れなくても。
発達が遅くても。

一人で子どもの世話をしているときの
感情のコントロールが絶対に必要だ。
相手は、脳が未発達の子ども。
大人とは違う。
それを忘れないようにしなければ。

社会人になって27年も経つのに

もうこのブログを読みに来る人などいないのだろうけれど、
私の心の内はここにしか書けないから、
細々と続けよう。

私の社会人人生はあと10年。
最長でもあと15年。

その時間があっという間に過ぎ去ってしまうことは、
今までの経験で知っている。

しかし、社内での異動もままならず、
今の部署での自分の存在意義をアピールもできず、
もがき苦しんでいる。

何者だと言えないまま人生を終わるのは悲しい。
子どもにとっては母親で、
夫にとっては妻ではあるが、
社会にとってはどうなのだろう。

今まで過ごした時間がムダだったとは思わない。
歳を重ねることで、わかってきたことも
たくさんある。
ずっと続けてきたヴァイオリンの腕も、
それなりに進化していると思うし。

しかし、仕事では何か一つでもいいから
生きた証がほしい。
こんな年齢になってしまったけれど、
もっとがんばりたいのだ。

窮屈

いつもいつも、居心地がよくない。
居場所が感じられない。
会社でも、幼稚園でも。

人と話すのが億劫に感じられる。

人間関係ができていないせいなのだけれど、
人と仲良くなるのが難しく感じられる。
いつも楽しい心持ちならば、
人にも気軽に話しかけられるのに。

大学時代の同級生や
新卒で入った会社の同期と、
同世代トークやバカ話で盛りあがりたい。
そう、会社も幼稚園も
自分よりもずっと若い人だらけなのだ。
若い人が好きなものが好きな方なら
話も盛りあがるだろうが、
私の趣味嗜好はあまりにも違いすぎていて、
心が引いてしまう。

しかし、これは子どものころからだ。
流行っているテレビ、芸能人、歌謡曲、スポーツ、
何にも心が動かず、
クラスの話題には入れなかった。

子どもには、みんなで楽しむことが
できるようになってほしいと思う。
チームで取り組むスポーツでも、
カードゲームやボードゲームでも、
囲碁将棋やチェスでもいい。

私のような窮屈さを感じないで
生きていってほしいと願う。

複雑な気持ち

アスペルガー症候群なのだろうか。

とにかく、電子音声を何度も何度も
繰り返し聞く。

せっかく連れて行った電車のイベントでも、
発車するときにホームで流れる音楽が聞ける
貯金箱のボタンを何度も押してばかりで動かない。

バスのアナウンスが流れるおもちゃを買ってあげたら、
何度もボタンを押してずーっと音を聞いている。

おもちゃ売り場では、電車のアナウンスが流れる
おもちゃから動こうとしない。

川や、お風呂のお湯を抜くときの
水の流れる音が好きで、
じっと聞いて音をまねる。

どんなに難しい歌でも覚えてしまい、
前奏や間奏、後奏まで正確に歌う。

しかし、月2回のピアノリトミックのレッスンでは
気が散ってばかり。
ピアノを弾くよりも、ペダルに興味深々。

そして私がヴァイオリンを練習しようとすると、
「おしまい」と言って邪魔をしてやめさせる。
だから、やはり子どもが寝静まってからでないと
楽器は弾けない。

前の保育園で一緒だったお友だちと会っても、
一緒に遊べない。
コミュニケーションがうまくとれない。

興味のあるものをフックに
世界を広げていくしかないのだろうけれど、
普通の子どもとの違いに
時々、心が折れそうになる。

興味のあるものに対する集中力はものすごいのだから、
親もがんばって寄り添っていくしかない。

親子遠足に思う

今日は幼稚園の親子遠足だった。

子どもは、大好きな電車やバスに乗れたし、
観覧車やジェットコースターを間近で見られて
うれしそうだった。

が…。
母は本当に大変だった。
まず、子どもは大人の言うことを聞かずに
自分の好きなところに一人でさっさと行ってしまう。
自由自在。急な坂道もなんのそので、
追いかける親はくたくた。
そして、ルールのある遊びができないから、
お友だちと遊べない。
まだオムツがはずれていないのだけれど、
ひどいタイミングで大をして時間がかかる。

クラスにダウン症のお友だちが2人いるのだが、
子どもの行動はまさしくその子たちと同じだ。

他のお母さんたちと仲よくなりたくても、
いつも子どもの世話に追われて話ができない。
トイレに行きたくても行けない。
お友だちとおやつを交換したり、
一緒に乗り物に乗るなどもできず、
ひたすらジェットコースターの音を聴いて帰る。

母が人間関係を築くのが下手だから、
子どももそうなのか。
それとも、発達が1年ぐらい遅れているせいなのか。

「どこにいても居場所がない」感覚が
またおそってくる。
しかし、この子はこの子なのだ。
仕方ない。
小さな、耳のいい「若冲」には、自分の道を歩いてもらうしかない。
カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
月別アーカイブ
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
プロフィール

Fuchur

Author:Fuchur
幸いの竜フッフールのように希望を持って生きたい、丙午の人。

■自然が好き(動物・鳥・虫、植物、宇宙、天然石)
■音楽が好き(アマチュアヴァイオリン弾き)
■美術が好き(デッサンを習っていました)

FC2カウンター
リンク
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる